中部圏のものづくりを未来へ。中部圏デジタルツイン推進イニシアティブ顧問・松尾東海国立大学機構 機構長が語る、産学官連携と人材育成のビジョン

名古屋大学の学風「自由闊達」が書かれた書の額を背景にした松尾東海国立大学機構 機構長の画像

グローバルなデジタルトランスフォーメーション(DX)が加速する中、世界有数のものづくり集積地である中部圏は、人手不足やサプライチェーンの複雑化といった大きな構造変化の渦中にあります。長年培ってきた現場の資産をいかにデジタルやAIと融合させ、持続可能な国際競争力へと昇華させるか。その鍵として注目されているのがデジタルツインです。

こうした課題に対し、産学官の連携によってデジタルツインの実装を地域全体で後押しすべく立ち上げられたのが「中部圏デジタルツイン推進イニシアティブ」です。
なぜ個社単位ではなく連携が必要なのか。AI時代における人材育成とはどうあるべきか。中部圏が目指すべき産業の未来と、その実現に向けて果たすべき役割について、本イニシアティブの顧問である松尾東海国立大学機構 機構長に話を聞きました。

▼ 目次

  1. 1.
    中部圏のものづくりがデジタルツインを必要とする本質的な理由
  2. 2.
    なぜ産学官連携が必要なのか。共通基盤で打ち破る個社対応の限界
  3. 3.
    AIの学びと現場の知を融合する。地域全体で挑む人材育成
  4. 4.
    速やかな決断で次のフェーズへ。地域全体で挑む未来へのメッセージ

松尾 清一 (まつお・せいいち)

東海国立大学機構 機構長

1976年名古屋大学医学部卒業、医学博士。米国研究員、名古屋大学大学院教授、附属病院長、副総長を経て、2015年に名古屋大学総長、2020年に岐阜大学との法人統合により誕生した国立大学法人東海国立大学機構長に就任。2018年から3年間、内閣府総合科学技術イノベーション会議有識者議員を務め、大学改革や産学官連携を推進。現在、中部経済連合会理事、中部経済同友会常任幹事、東海・信州国立大学等連携プラットフォーム(C2-FRONTS)代表などを務める。

中部圏のものづくりがデジタルツインを必要とする本質的な理由

――世界的にデジタルシフトが加速する中、中部圏の製造業においてなぜ今デジタルツインが必要とされているのでしょうか。

松尾氏: 中部圏には世界に誇るリアルなものづくりの現場が集積しており、長年にわたって積み重ねられてきた信頼性や品質への評価も非常に高いものがあります。これは地域産業の大きな資産です。

しかし今、産業界は急速かつ複雑に変化しています。人手不足や熟練者の減少といった構造的な課題に加え、サプライチェーンもかつてのように自己完結した固定的な構造ではなくなりました。安価で質のいい部品がグローバルに流通するようになり、価格競争や物流網の断絶リスクといった要素が複雑に絡み合うことで、不確実性が増しています。
さらに脱炭素への対応やAIの急速な普及も重なっています。これまで企業を支えてきた現場の経験や暗黙知だけでは、この急速な変化に対応しきれなくなっているのです。

中部圏の産業が生き残っていくための最大の焦点は、培ってきた現場の資産を、いかにデジタルやAIの活用へつなげていくかという点にあります。これは大企業だけでなく、サプライチェーン全体を支えるあらゆる企業に関わる問題でもあります。

――現場の資産をデジタルへつなぐ上で、デジタルツインはどのような役割を果たしていくのでしょうか。

松尾氏: デジタルツインは、物理世界とデジタル世界を結び、産業の発展に欠かせないAI・シミュレーション・ロボティクスといった技術を統合する中核基盤です。海外ではすでに、デジタルツインを活用して開発期間を大幅に短縮したという事例も耳にしています。

デジタルトランスフォーメーション(DX)に勝ち抜いた地域がシェアを伸ばす一方で、対応が遅れた地域は、かつての「ラストベルト(寂れた工業地帯)」のように産業の空洞化を招きかねません。中部圏はいま、まさにその運命の分かれ道に立っています。そうした危機感があるからこそ、地域全体でデジタルツインの推進に取り組むこのイニシアティブは時宜を得た重要な一歩であると言えます。

なぜ産学官連携が必要なのか。共通基盤で打ち破る個社対応の限界

――本イニシアティブでは産学官連携を掲げていますが、産学官連携の重要性について教えてください。

松尾氏: 日本の企業は、これまで個社や特定グループ企業の中でデジタル化を進めてきました。デジタルツインに関しても「自社の中でどう活用するか」という視点で検討されているケースがほとんどだと感じています。しかし、それで果たしてグローバル競争に勝てるのでしょうか。

個社での取り組みは収集できるデータも限られており、大量にデータを集めて精度を高めるというデータ本来の価値を活かしきれません。サプライチェーン全体で迅速にデータを共有することなくしては、大きなイノベーションを起こすことは困難だと思うのです。

デジタルツインの活用は、一つの企業や大学、自治体の中だけで完結するのではなく、設計・生産・物流・エネルギー・人材育成といったあらゆる領域を統合してこそ真価を発揮します。確かな信頼関係のもとにデータと知見をつなげ、地域全体で能動的に動くことが不可欠です。本イニシアティブが提唱するように、産学官の密な連携こそが、次世代への扉を開く鍵となるのです。

――では、その構想を具体的に前へ進めていく上で、何が求められるのでしょうか。

松尾氏: その拠り所となる共通基盤の構築が必須であると考えています。例えば以下のようなものです。

●企業が安心して参加できるセキュリティ・ガバナンス
産学官の連携を具体的に進めるためには、データセキュリティやデータガバナンスの確保が不可欠です。重要なデータを一般的な外部クラウドにアップしてしまうと、情報漏洩といった機密性への懸念だけでなく、データに対するソブリン性(データ主権)を保つことが難しくなります。企業にとっては参加のハードルが高くなってしまうでしょう。
産学官連携の第一歩には、誰もが安心して使えるプラットフォームが必要です。こうした基盤が整って初めて、デジタルツインの実装が具体的に進むのだと考えています。

●大学側の広域連携体制の進化
単独の大学ですべての分野を網羅し、企業の多様なニーズに応えるには限界があります。そこで私たち東海国立大学機構が主導し、東海・信州の8国立大学法人9大学と6国立高等専門学校が連携した東海・信州国立大学等連携プラットフォーム「C2-FRONTS」という枠組みを立ち上げました。各大学の専門人材が集結することで、さまざまな課題や社会からの要請に柔軟に対応できるプラットフォームを目指しています。
特定のテーマに対して異なる分野の研究者が集う場ができれば、産業界にとっても大きなメリットになるはずです。本イニシアティブと活動地域も一致しているため、密に連携して広域な組織体制を築いていければと考えています。

「C²-FRONTS」についての詳細は、東海国立大学機構の公式サイトをご覧ください
東海・信州国立大学等連携プラットフォーム「C²-FRONTS」

AIが急速に世界を変えていくこの現代において、熱意だけに頼っていては、実効性のある連携を維持・発展させることは困難です。
テクノロジーの進化に合わせて基盤そのものをアップデートし、産学官が能動的に動ける環境を整えることが必要です。それこそが、次世代のものづくりに向けた第一歩となるのではないでしょうか。

AIの学びと現場の知を融合する。地域全体で挑む人材育成

――では、本イニシアティブの活動の柱でもある人材育成についてもお尋ねします。技術変革が進む現代において、これからの教育や人材育成はどうあるべきでしょうか。

松尾氏: 生成AIの登場で、座学レベルの知識やプログラミングのコードなどは瞬時に得られる時代になりました。しかし、ものづくりの現場に蓄積された知恵や匠の技を合わせて学ばなければ、現場で力を発揮することはできません。デジタルツインは仮想空間で扱う技術ですが、目的はあくまでリアルな現場を良くすることにあります。現場のリアリティが伴っていなければ、せっかくの技術も活かせないのです。

これまでの大学教育は、大学で学んだことをベースに、企業が現場に合わせて必要な知識を再教育するという流れでした。しかし、この分業には無駄が多いのも事実です。企業側からすれば「大学で学んでいる間に、社会で役立つスキルを身につけてほしい」というのが実情ではないでしょうか。学生が製造現場に足を運んで生きた課題を持ち帰り、それをどう解決するかを考えるような実践的な学びへシフトしていかなければなりません。

また、すでに現場で働く社会人の学び直し(リスキリング・アップスキリング)も不可欠です。最先端技術を学びたい社会人を博士課程レベルの大学院生として受け入れ、働きながら高度な知識や技術をアップデートできる環境を地域全体に広げていくべきでしょう。

――そうした取り組みを、地域全体の動きへと広げていくためには何が必要でしょうか。

松尾氏: 中部圏全体が次世代のものづくりへと転換していく中で、教育に対するニーズは数多く生まれてくるでしょう。私たちアカデミア(大学側)が知りたいのは、企業は大学に何を求めているのかというリアルなニーズです。

大学と企業が連携して、この地域でこういう人材を育てるという大きな合意のもとで共通基盤を作れるかが人材育成の大きな鍵を握っています。そうした仕組みをいかに地域全体で構築していくか、議論を重ねていかなければなりません。

速やかな決断で次のフェーズへ。地域全体で挑む未来へのメッセージ

――では最後に、産学官が本格的に動き出すにあたり中部圏の未来に向けたメッセージをお願いします。

松尾氏: お話ししたような基盤を整えた上で、今まさに問われているのは実行のスピード感です。現在の1年はかつての10年に相当する。それほどの速度で進化していると感じます。

慎重に議論を重ねているうちに、世界は次のフェーズへと変わってしまうでしょう。大学も企業も速やかに決断を下し、ただちにアクションを起こさなければなりません。

確かに現在、海外に対して後れを取っている部分はあります。しかし中部圏には、長年培ってきた世界有数の製造集積・設備・技能・品質データ、そしてサプライヤー網という圧倒的な現場の強みがあります。挽回は十分に可能です。

デジタルツインの実装を通して中部圏の産業の国際競争力を高めていくことは、企業の成長のみならず、そこに暮らす人々の豊かさとウェルビーイング向上にもつながっていくでしょう。本イニシアティブの発足が企業・大学・自治体に対する刺激となり、「中部圏の未来を共につくる当事者である」という意識を持って、それぞれが能動的に動いていくことを期待しています。

本イニシアティブの活動報告やイベント案内、デジタルツイン最新動向、
その他デジタルツインに関する情報はメールマガジンでお届けします。ぜひご登録ください。